5月26日 Twyla Tharp

NYPLで"Armitage Gone, The elegant universe"、"Floor it"、"Twyla Tharp Scrapbook 1965-1982"のヴィデオを見る。
"Armitage Gone, The elegant universe" キャロル・アーミテージのカンパニー。グッゲンハイムの"Works & Process"のレコーディング。弦理論や量子力学や相対性理論を使っただかの作品集。最初にフェルドマンを使った群舞、後半はルーカス・リゲティの生演奏付き。別にダンサーが一次元になったり量子的に運動する訳ではなく、所詮科学理論のいい加減な移し替えにすぎないが、昆布の形態模写が面白いのと同じ意味で、面白い効果を上げている。それにしてもアーミテージの異様なほどにドライな振付けはそれだけで一見の価値があると思う。バレエの技術体系を利用し尽くすという意味でも上出来。
"Floor it"は1985年のPS122ベネフィットの記録。ダンス、音楽、演劇をうまく取り混ぜた内容で、全体に楽観的で良くも悪くも80年代を思い出させる。基本的にはショーケースで、本公演の案内が入ったりする。The Alien Comic/ かぶりもの、小道具を慌ただしく取り替えて、喋りまくる完全にスタンダップ・コメディの延長にある「パフォーマンス」。芸術の文脈で語りたくなるのも分からないではない。面白くもなんともないが客席大受け。Karol Armitage/ David Lintonの音楽によるデュオ。何ら攻撃的ではないが、完璧なテクニックで危うさを感じさせるという意味で希有な存在といってよいのではないか。Lenny Picket/ サタデーナイトライヴのバンマスによる、打ち込みをバックにサックス2本による込み入ったジャズ。Molissa Fenley/ メトロノームの音をバックにひたすら筋肉質のトリオ・ダンス。力の露出以外のものを見たい所。Fred Neumann/ ベケットの"Worstward Ho"の冒頭部分。言葉をゆっくり聞かせて、それらしいベケット演出に見えるがMabou Minesのプロダクションじゃないだろうか。ということは初演か。Tim Miller/ 走り回ったりするが、基本的にはナラティヴで少し自己言及的なパフォーマンス。Yvonne Meier/ この前見た人の若く小柄だった頃の作品。デュオ。細々したシャープな動きと、関節を延ばしきらない動きをベースに、脱力とぶち切れた動きを往還する、素晴らしいダンスを見せる。このひと面白い。グラハム・テクニックの発展型に見えなくもないけれどどうなのだろう。Beth Lapides/ コメディーに近い警句的なパフォーマンス。黒板を使ってあれこれ客席とやりとり。John Zorn/ Arto Lindsay とのデュオに若いダンサーが4人。楽器を持ち変えるたびに時間がかかるので間合いの多い演奏。やり慣れた感じがなく模索している面白さがある。ダンスは音楽の勢いに任せ過ぎ。Johanna Boyce/ ヘンデルのハレルヤを歌いながら大勢が民俗舞踊まがいのダンス。なぜここで出てくるのか不明。
"Twyla Tharp Scrapbook 1965-1982"トワイラ・サープが短いクリップを見せながら自分の創作史を語る。時間がなく最初の18分のみ。驚いたのは初期作品のラディカルさ。1965年の最初の作品はルシンダ・チャイルズの70年代を思わせる完全な幾何学ダンス。観客からは見えないダンスや、数学的なスコア、コンピュータによる振付、セントラル・パークでの60人のダンス、ヴィデオを使った振付、美術館でのライヴ・カメラを使ったサイトスペシフィックな作品、100人の観客参加の作品など、1965-70年代にかけて過激でコンセプチュアルな実験を一作品毎に試している。ジャドソンの実験に比べてヤマっ気があり、そこに後年の萌芽が見られなくはないが、とても今のサープを想像できる内容ではない。しかし動きのディテールに踏み込むことはないので、動き自体は単純である。しかしだからこそここまで大胆な実験ができたともいえる。驚き。

5月25日 Yasunao Tone

Yasunao Tone/ Tomomi Adachi
@ Roulette
私は音響詩を中心にしたパフォーマンス。ニューヨークでは初めて。刀根さんはMP3のエラーメッセージをスコアに、万葉集をもとにしたサウンドファイルを再生。プロセスは見えず、ラップトップを操作するだけだが、理不尽といえるほどノイジーな音響と、出るタイミングのランダムではない予想のつかなさ。脱帽。

5月23日 Genesis P-Orridge

Thee Majesty
@ Issue Project Room
浮遊するギター・ループと、エフェクトのかかったティンパニ、ゴング、それとGenesis P-Orridgeの語りによるトリオ。音楽的にはなんということもないけれど、Pオリッジの人体改造の果ての禍々しさに衝撃。もの凄い豊乳に、服は自分の名前のT-シャツ、G-パン、スニーカー。ほとんど冗談すれすれだけど、文字通り体を張った冗談か。そこにいるだけで大変なことになっている。

The Brecht Forum
ニューヨークのマルクス主義の溜まり場での月2回のコンサート。7時開演を7時半に行ったら、どう見ても客は私一人。Ras Moshe/ サックス、ギター、ベースのトリオ。普通のフリージャズだが、客席が気になって仕方ないみたい。ベースのShayna Dulbergerが無茶苦茶うまい。その後だんだん客は増えていく。Audrey Chen+Luca Marini/ オードリーはだんだん凶暴になっていく気がする。ルカのドラムは背景に回りがちだが、下手に盛り上がることもなく、洗練された関係性。Mari Okubo +3/ フュージョン風のバックにソプラノで演歌風のジャズ+ときどきフリー。

5月22日 TRANSIT

Slash
@ Diapason Gallery
Kato Hidekiの音とUrsula Scherrerによるヴィデオによるインスタレーション。3つのプロジェクターをスリットの多く入った壁越しに映写し、まるでフィルムのような触感。

ScrapCycle(reUSE/reCOMBINE)
@ Devotion Gallery
日本のような小さなサイズのギャラリー。リサイクル/DIYに焦点を当てた展覧会。出品者はほとんど知り合い。Jennyのクッキング・ワークショップ

TRANSIT
@ Tenri Arts Institute
Joe Bergen (percussion)とDavid Friend (piano)によるニューヨーク在住の若手作曲家に焦点を当てたコンサート。2人でやったのは1曲だけで、基本的には交互に出てきて、3人の作曲家の打楽器ソロ、ピアノソロの曲を各一曲ずつやるという趣向。違う楽器の2曲を比べられるというのは良い。Tristan Perichの記譜された曲が目当て。打楽器曲はtuned bellsに同期する1bit電子音との曲、剥き出しのスピーカー6つの6チャンネル。ピアノ曲も含め、正当的ともいえるアメリカ・ミニマル・ミュージック。他Ted Hearneの特殊奏法満載のミニマル・ミュージックが面白かった。それにしてもニューヨークの若手現代音楽奏者の何でも新しいことに挑戦し、しかも上手ということにつくづく感心する。

5月21日 Fitzgerald & Stapleton

National Design Triennial
@ Cooper-Hewitt, National Design Museum
トリエンナーレ自体はびっくりするくらい小規模な展示。Why Design Now?という大きく出たテーマだが、多くは地球資源が限られているから、というエコ話でしかない。すると小さいモジュールの反復かメタボリックな構造になりがちで、60年代からあるスタイルの選択にしかならない。とはいえ、デザインとしての審美的な基準はそれとは別に明らかに存在し、それを不問に付すためのエクスキューズがエコロジーであるかのようだ。何故このデザインが必要か、は説明できても、何故あのデザインは必要でないか、は説明できない。個々のものは面白かったけど、Museumとして、Exhibitionとして、こんなことしかできないようではまずい。
Neue Gallery
ウィーン表現主義が中心の小さなコレクション。特別展はOtto Dix。ディクスの内臓そのもの水彩は初めて見た。ここまでグロに徹底した作家だったんですね。先のデザイン・トリエンナーレの後で、アドルフ・ロースのデザインを見ると、世界を変えようとする意思に打たれる。世界を守るのではなく、世界を変えようとする作品は世界が変わっても生き続ける。


Fitzgerald & Stapleton
@ Chocolate Factory
デボラ・ヘイとベケットにインスパイアされたとかいう作品。開場すると女2人が素っ裸でだらだら動いており、そのうちオナニーを始める。縮こまったウォームアップのような動きを軸に、喋りと少しの歌とヴィデオ。録音された音楽はなし。動き自体はとても面白いが、テキストはギャグかメンタルで意味ありげな内容。ベケットに影響されて、これでは困ります。

5月20日 Jack Smith

Francesco Gagliardiとパフォーマンス・アート、エクペリメンタル・シアターについて。以下会話のメモ。
スチュアート・シャーマンはフォアマンとつながりが深いが、対極にあるものとしてジャック・スミスを考えなければならない。両者に共通するのはno concern of audiences。マイケル・フリード、もしくはイヴォンヌ・レイナーとリンクできる問題かどうか。Stageはinternalなものである。ジャック・スミスのパフォーマンスについてはStefan Brechtの"Queer Theatre"に詳しい。このベルトルト・ブレヒトの息子は父親の著作権料でhotel chelseaで暮らし、シャーマン、スミス、ロバート・ウィルソンと深いつながりがあった。アメリカの"performance art"はこのシアター系列の他に、スタンダップ・コメディの系譜があり、いまPS1やPS122でperformanceというのはこの系統。ローリー・アンダーソンは両者を統合しているのかもしれない。いずれにしてもヨーロッパでいう"performance art"とは大きな違いがある。いまのアメリカの20代、30代のミュージック・シアターの系譜は音楽と美術を結びつけるCal Artsでの教育と関係がある。ヴァンデルヴァイザーと関係づけられるのかどうか。Adam Overtoneのよるエクスペリメンタル・パフォーマンス・スコアのアーカイヴhttp://uploaddownloadperform.net/

5月19日 Kenneth Anger, Jonas Mekas

Return to the Pleasure Dome
@ Hiro Ballroom
アンソロジー・フィルム・アーカイヴス40周年ベネフィット。「千と千尋」を真似たボールルーム。上の席からはどっちみちよく見えないので、最初の2バンドはなんとなく聞き流す。Sonic Youthはロックなバンドだと思っていたが、生で見るとクラシックやジャズと同じ意味での演奏技術の卓越が目につく。たどたどしいフレーズも計算づく。ノイズも計算づく。こういうものこそポストモダンと言いたい気分。足下覚束ないルー・リードはオリジナルインターフェイス臭い助演者と一緒にマヤ・デレンを見ながらノイズ即興。デレンのダンスものはどれもこれも凄い。ケネス・アンガーとBrian ButlerのTechnicolor Skullはギターとシンセのノイズ・ドローンをバックにアンガーのディレイ付きテレミンが暴れまくり。テレミンという物体との格闘で出音はどうでもいいようなもの。凄いです。スクリーンには「ルシファー・ライジング」。そのあとメカスによるアンガーの生涯功労賞の表彰があり、と思ったら「デジタルなんか映画じゃない!フィルムを残せ!」とメカスが吠える、吠える。ホーンを交えたフル・バンドが出てきて、メカスの詩のアジテーション。ショッキングなくらいのエネルギー。見事に終わりに向かって盛り上がるイヴェントだったが、終わった頃には客席はがらがら。