5月18日 Diapason

Tomomi Adachi/ Philip White/ Marko Timlin
@ Diapason
小さいけれどアメリカで経験する最も優れたPA。Markoは超音波距離センサーと光電池をArduinoに入れてMAXを操作。Philip Whiteはミキサーのフィードバック。この人、とても面白い。私のソロのあと、3人のトリオを少し。マイケル・シューマッハーはもちろん、ジュディー・ダナウェイが来てくれた。

5月16日 Seth Cluett

Seth Cluett
@ Roulette
若い作曲家。最初は観客にインストラクションのあと、紙と石の観客による演奏。基本的にはウォルフと一緒だが、もうちょっと分かりやすい。Okkyung Leeのチェロと低音のサイン波による音楽。基本的にはルシエと一緒だが、チェロのパートは特殊奏法も含め、もうちょっといろいろある。最後はフィールド・レコーディングとサイン波のクラスター、自作楽器による長い曲。基本的にはニブロックと一緒だが、もうちょっと細工がある。アメリカ実験音楽を学習して、ちょっとだけ発展させてみました、という印象。それでもいいけれど、趣味の付加でしかないような発展の仕方はつまらない。

5月15日 Susie Ibarra, Ontological-Hysteric Theater

Pauline Oliveros + Susie Ibarra
@ Stone
自分でもどうかしていると思うが、リハーサルと本番の間に時間があったのでここに。デジタル・アコーディオンとドラムセット。時々丁々発止にもなる、2人でメロディー(いわゆるメロディーではないけれど)を同時に紡いでいくような音楽。この前のチック・コリアとポール・モチアンのようだけど、もっと細かい所まで統御されている。オリヴェロスは自分のデジタル・アコーディオンについて延々喋ったりして、テクノロジー・マニアなんですね。スージーは10年以上前に一緒にやって以来。あの時も凄いと思ったけど、今ももちろん凄い。スージーと昔話して戻る。
Adachi Tomomi, Kara Feely+Travis Just+Francesco Gagliardi+Kevin Farrell
@ Ontological-Hysteric Theater
私はヒデ・キノシタ、"This is an interactive piece between"の初演と赤外線シャツ。Francesco Gagliardiの机と椅子を使った、物との関係を視覚から扱った短い作品。そのあと4人によるコレクティヴ・パフォーマンス。カラとフランチェスコはマスキングテープで床に図形を書き、カラがプロジェクターでテキスト、フランチェスコが電球によるテーブル・シアター。6個の電球の組み合わせだけでいろんな表現が可能。トラヴィスとケヴィンは、他の2人とは関係なく、プリペアド・ギター、ベース、サックス、ラップトップで複雑なリズムの騒々しい音楽。

5月17日 Stuart Sherman, Charlemagne Palestine, i-CubeX

Stuart ShermanとCharlemagne PalestineをEAIのViewing Roomで。ここは何時間あっても足りない。Shuermanは13th, 7th, 8th Spectacle。8th(1979)の段階でテーブルトップシアター+カセットという形式は確立されている。13thではカセットの音との関係が重視。7thは子供を含む大量の人が一人づつ出てきて、小道具を使った一芸をやる(リハーサル臭いが、フィルム用に撮ったのかも知れない)。素材同士の関係を他の素材に転写するというのが基本的な考え方。素材には日常の物体の他、所作、音、数が含まれる。Charlemagne Palestineのヴィデオ作品もここには大量にあり、"Body Music I, II"(1973-74)と"Dark Into Dark"(1979)を見る。Body Music Iは四角い狭い部屋の中で、本人がうなりながら正座の状態から、痙攣し、歩き、走り、壁に激突するトランスのプロセス。カメラは部屋の中央から追う。プライヴェートな儀式を撮影するということにうさんくささは禁じ得ないが、それに対する回答がBody Music II。本人が今度はカメラを持って、うなりながらいくつかの部屋を周回する。だんだん早くなりぶっ倒れて終わり。憑依が主体と客体の間できちんと位置づけられているのに感心する。I にはぬいぐるみ、IIには蝶の模型(?)による妙なオープニングタイトルがついている。Dark Into Darkは暗闇中でぶつぶつわめく本人にだんだん照明を入れていき、最後にはまた真っ暗になるプロセス。結構怖い。

Sensor Technology with the i-CubeX
@ Harvestworks
Infusion Systemsの社長のAxel Mulderによるワークショップ。顔を一度見てみたかったのと、Biomuse系を試してみたかったので行った。初心者向けの内容なのですることなんてないのだが、BioWaveを試せて良かった。ただ脳波が正しく検出されているかなんて本人にも分からない。筋電、脳波を拾うにはこれが一番安上がりな方法なんだろうか。

5月14日 Colin Gee, Mendi + Keith Obadike

Colin Gee
@ Whitney Museum
Martin Kerselsの"5 Songs"でのパフォーマンス。彫刻そのものは大したものだと思わないが、Colin Geeは洗練された身体技法で、モノと直接的な関係を作る一歩手前をひたすら逡巡するようなパフォーマンス。空間把握と物との関係が主眼。建築的なダンスがありうるとしたらこういうものかもしれない。またクラウン出身なのでいわゆるダンスとは全然違った技術で、いかにダンスというものが特定の技術体系に依存しているかがよく分かる。
Mendi + Keith Obadike
@ Roulette
黒人のアイデンティティーを巡るエレクトロニック・フリージャズ・オペラ。テキスト自体は複雑でないにしても、独特の含意がある様子で黒人でない私が果たしてどういうリアクションをして良いのか迷う部分が多かった。コンテキストが分からない限り、非常に慎重になるアメリカ人の態度もこういうところから来ているのだろう。しかしそれはあまり健康な態度ではないと思う。Shoko Nagaiのピアノが良い。

5月13日 ISCP, Sam Ashley

チェルシーで画廊巡り。目につくものは知っている作家ばかりというのが実情。「おっ」と思うとJiri Kovandaだったり。興味のある作家ではなかったがUta Barthの新作が意外と面白い。やはり写真の面白さはフレームに尽きると思う。Chelsea Art MuseumではアーティストがMiddle/high Schoolで子供と作った作品の展示"Forteen Again"。何かやるにはこの位の年齢がいいかもね。ほとんどは子供を素材として使っているに過ぎず、それも強要された素材という印象は拭いがたい。Tony Ourslerの作品が子供の言葉に焦点を合わせており面白い。ニューヨークで子供と作業するということは取りも直さず、言語の問題になるのだと思う。
ISCPのオープンスタジオ。説明を聞けば面白いのだけど、それを作品に埋め込めないものか。わざわざニューヨークに来て感心するのもどうかと思うけれど、水内義人が出色。
Sam Ashley, Robert Van Heuman + Jeff Carey
@ Issue Project Room
もの凄く知り合い率の高い客席。ひさびさに会う、サム・アシュレーは観客との関係/無関係をコンセプチュアルに扱いつつ、論理的、言語的でないアプローチをパフォーマンスで見せる点で非常に特異な作家。ひとつめは直流電源をつないだスピーカーの一方の接点をギターの弦で引き出して、同じく引き出した別のスピーカーの接点に接触させて発振させるもの、ほぼ同じ姿勢でちょっとした力の入れ方の違いで音が変わっていく。ふたつめはシンバル2枚、バスドラム2枚を乱打。騒々しいメディテーション。Robert Van Heuman + Jeff Careyは2人ともジョイスティックによるラップトップで音に完全に同期する映像との演奏。
終わってから珍しく打ち上げがあり、Tom Hamiltonと話す。隣に座った女性とニューヨークにおける汚物処理利権という私の英語力の限界に挑む会話。

5月12日 Stuart Sherman, Lesley Flanigan

Electronic Art Intermixのviewing roomでStuart Shermanの記録映像。これはたぶん世界のここでしか見れない。Selections from the First SpectacleとSecond Spectacle を通して見、Fourteenth Spectacle Performance と 21 filmsを飛ばし見。75年の最初のものはForemanのセットの中でのパフォーマンス。小道具と自分の体を主人公にし、観客も交えた、徹底的に無意味な寸劇集。ときどきカードをめくっているので、おそらくそれがスコア。完璧に統御された動作ではないが、慣れた振る舞い。何度か作った料理をレシピを確認しながら作ってるよう。76年のSecondはフォアマンも交えた4人。ただフォアマンと違いパフォーマーの個々の質感には一切依存していない。89年の14thでは舞台は小さなテーブルひとつになり、視覚的に洗練されているが、動作のちょっとした野暮ったさなどは変わらない。ヨーロッパでいうパフォーマンス・アートではなくて、観客との関係も含めシアトリカルだが、マルチメディアとなることは徹底的に避けられ、物体が持つ複数のあり方を開示されていく。進行は常に少しだけ予想をはぐらかす。体が要求するスピードより常に少しだけ速く演じられるので、演技にはならない。この「常に少しだけ」が重要なポイントかもしれない。あまり類するものが思いつかないが、敢えていうならば私と武井よしみちで昔やった「50連発」に似ているかも。一個一個のイヴェントがどういった理由でつなぎ合わされているかがとても気になる。この「理由」が私の今度の"This is an interactive piece between"の主題。Filmになるとイヴェントの連結がメディウムの基礎文法そのものなので、違う面白さになる。いまそこにある、というリアルタイム・パフォーマンスの幻影があくまでパフォーマンスの結果として産まれてくるのが素晴らしい。
Bioluminescence: Lesley Flanigan and Luke DuBois
@ Roulette
レスリーのヴォイスをリュークがプロセッシングしつつ、映像はヴォイスでコントロール。レスリーはときどき叫んだりもするが、ものすごく洗練されたできばえ。