5月27日 Terry Fox, Le Grand Macabre

EAIのViewing Roomでヴィデオ。
Terry Fox/ "Lunar Rambles"76年のキッチンでの個展中、ニューヨーク各所でおこなわれたパフォーマンスの記録。パフォーマンスといっても2種類のボウルを弓で延々擦り持続音を出すだけ。ブルックリンブリッジ、地下道、Fulton Fish Marketなど、各30分強。人気のない所を選んでいるようで、立ち止まる人もなく、また場所毎に撮影の仕方は考えられていて、テリー・フォックスがメインではなく、それを含めた環境が撮影されている。聴こえるか聴こえないかのドローンだが、一度それと分かれば、周囲の音を強く浮きたたせる。"Tonguings"(1970)舌の執拗な運動を延々撮影。20分に渡って見事にヴァリエーションが展開される。ピントがぼけるのもお構いなく、歯がボロボロなのも強烈。"Children's Tapes"ボウル、スプーンなど日常の物体と火や水を組み合わせて、ハエ取りや水の滲出など、小さく自律的でかつドラマティックな出来事を繰り返す。素材的にはミニマリズムであるが、明快な展開を持つあたりでミニマリズムを大きくはみ出している。もしかして凹型の物体に特別な関心があったのかな。
WGBH "Video Variations"(1972)ボストン交響楽団のクラシック(最新でシェーンベルク)演奏に8人のヴィデオ・アーティストに映像をつけさせた、MTVのハシリのような作品。Tsai Wen Ying, Stan VanDerBeek, Constantine Manos, Douglas Davis, Jackie Cassan, Russell Connor, James Seawright, Nam June Paikの順。多いのはダンスなどの実写と合成ヴィデオイメージを音楽の雰囲気に合わせて編集したもの。あるいはメンタルな解釈もある。中でパイクはベートーヴェンをバックにベートーヴェンの胸像を殴ったり、ピアノのミニチュアを燃やしたり、フルクサス的なユーモアと音楽と全然シンクロしない点でずば抜けている。
Jud Yalkut "26'1.1499" For A String Player"(1973) シャーロッテ・モアマンとパイクによるケージの"26'1.1499"のパフォーマンスを素材にYalkutがヴィデオ合成、再編集したもの。それにしても元のパフォーマンスが凄い。弦の指示の部分はたぶんちゃんと弾いているが(それでも演奏時間はだいぶ違う)、弦以外を演奏する部分を山積みになった大量の日用品、ガラクタでおこなう。テレビ、ラジオ、レコードプレーヤー、ガラスどころか、演習用の爆弾まで。コーラとワインとポルノ雑誌と紙幣をジューサーでミックスし、マッシュルームを炒め、果てはニクソンに電話をする。パイクは主に譜めくりだが、ときどき服を脱いで楽器になって叩かれる。モアマンとパイクの普通過ぎるやりとり。Water Walkの極端な拡張。ケージは一体どんな気持ちで見たことだろう。
Le Grand Macable
@ Avery Fisher Hall
ニューヨーク初演だそうで、New York Philのプロダクションでオペラとしてのフルステージではなく、あまり期待しておらず一番安い30ドルの席だったのだが、なかなかの内容。ステージにはオケが乗ったまま、右手に2つリアルタイム撮影のマシーンがあり、ここで舞台背景をリアルタイムに撮影、天井から吊るされた太陽(目玉?)の巨大スクリーンに写される。左手に張り出し舞台があり歌手は主にここ。所詮オペラとしての限界はあるけれど、客席、客電、オケも舞台の一部としてフルに活用した、見事な演出。歌手もうまいだけでなく、演技もキレまくっており(特にAstradamorsと Mescalinaの悪趣味ぶり)、衣装も悪趣味にこれでもかとお金を使っている。リゲティが言っているようにアンチ・アンチ・オペラなのでオペラと同じようにお金はかけないといけないわけか。オペラ本来の悪趣味をアイロニーにしてるわけね。オペラという権威がはっきりしているから、それをコケにしつつおいしいところをとるのは容易いと思うけれど、大成功の舞台だと思う。演出のDough Fitchはミニチュアマシーンを持って来たカンパニーGiants are Smallの人。その機械だけで充分存在感があり、日本の感覚ではGiants are still big.3階ボックス席だったが、このホールで一番音が良いように感じる。