2月2日-8日 London, LCC, Tate Modern

ロンドン滞在。テートモダン打ち合わせ、London College of Communicationでレクチャー、ワークショップ、テートモダンでリハ、ワークショップ、パフォーマンス。
合間に行ったところ。ナショナル・ギャラリー、コートールド・ギャラリー(フォリー=ベジェールを見に行ったのだけど、コレクションの質は強力)、ポートレートギャラリー(現代の王室関係のみ、このへんは面白い。日本で杉本博司が天皇家のポートレートを撮るのはいつだろうか?)、シャーロック・ホームズ博物館、大英博物館、Kinetica(キネティック・アート・フェア、悪くないけどコマーシャル過ぎ。名前は忘れたけど無線コントロールでネオン管のON/OFFという文字を切り替えるだけの作品が一番面白かった)、テートモダンの展示。テートモダンは量は大したことないが、作品の選択が適切すぎ。テーマ毎の展示もあまりに啓蒙的でいやらしいが、ちゃんと深読みもできるようになっていて憎い。"Energy & Form"と題された部分のJiri Kovanda、Keith Arnatt、Yvonne Rainerとつながって、Fischli & Weissと来る流れはちょっとすごい。こうやって書くとそのまんまだけど、作品はそうではない。滞在中に始まった企画展はTheo van Doesburg。とりあえずこの1年に見た展覧会の中では最高に面白い。ダダと構成主義の関連、コンクリートの概念まで。村山知義の意識的構成主義というやつもドースブルフとのつながりで考えられるべきだと思う。あとはマックス・ベンゼなんかもここらから捉え直せる気がする。
ワークショップで気づいたこと。半分くらいが外国人でいくつもの言語が使えて面白い。間違いを指摘すると自分はなぜ間違ったか(悪いのは私ではない)という言い訳が毎回始まって楽しくもあるが、下手で無茶な言い訳なので、つきあうのに疲れた。イギリス人は「紅茶」と発音できない、「くちゃ」か「こいちゃ」になる。イタリア人は難なく発音する。こういうことには個人差がほとんどなく、どの言語を母語とするかでほぼ決定される。
シンポジウム/パフォーマンス/プレゼンテーションでは圧倒的に言葉とポリティクスを巡る話題が多く、日本ではこのcontextualizeは非常に難しいと思った。そもそも言葉を意味から切り離すだけで大変なのに。終わってからの個人的質問もこの点の話が多かった。
テレビのCMでフライング・リザースが流れていた。David Toopと Alterationsの話ができたのが僥倖。
オイスターカードの現金返金は5ポンドまでといわれていたが、そう注意書きのしてある横で、ヒースローのチケット売り場のおじさんは何も言わずに8ポンド返してくれた
しばらくアメリカに慣れていると、同じ言葉を使っているのにここまで違うことにいまさらながら驚く。やはりイギリスはヨーロッパの余裕。それと記憶にあったほど、イギリス食は不味くない。アメリカに慣れただけかもしれないが。味覚だけは似ている。